トリチウムとデマの検証――「再臨界」「謎の霧」「大量流出」「日焼け」
あさくら
2018年2月2日
刻一刻と変化する福島の状況。いま何が起こり、何を論じるべきなのか。
それぞれの専門知を持ちながら、目の前の課題に立ち向かって現場で活動する方々はいま何を考えているのか。それぞれが思うテーマに迫っていきたいと思います。
今回は、福島第一原発内外の情報を発信し続けるあさくら(https://twitter.com/arthurclaris)さんにご寄稿頂きました。あさくらさんは大学院修了後、エンジニアとして20年以上にわたって原子力産業に従事。震災時は福井県で働いていましたが、その後1Fに移り、現在は汚染水に関係する業務に携わる。双葉郡内の寮に居住しながら、Twitterでさまざまな福島県内の地域情報を発信しています。
あさくらさんが最近発信することが多いのは、福島第一原発構内のタンクに貯められたトリチウムの処理問題とそれに関するデマについて。今回は「トリチウムとデマの検証」をテーマに論じていただきます。
はじめに
トリチウムは1F(福島第一)において多核種除去設備(ALPS)でも除去することのできない核種であり、現在はタンク内に貯留されています。「薄めて放出する」ことがもっとも現実的な解であり、じつはこれは事故を起こした1F以外の原子力施設でも行われていることですが、当事者である東電や国の説明不足もあり、社会的に理解が得られていない状況です。
トリチウムに関してはロシアの科学者やジャーナリスト、プラント技術者等を自称する者によってさまざまなデマがネット上で広められ、ついには週刊誌において明らかな嘘がまるで事実であるかのように報道されました。
1Fに関するデマは多数ありますが、今話題のトリチウム関する代表的なデマについて事実関係を検証したいと思います。
「1Fは再臨界中で、今もトリチウム水が蒸気として噴出している」との嘘
トリチウムは、運転中の原子炉において、おもに燃料の核分裂により発生する放射性核種です。(他にも中性子によって、制御棒のホウ素や冷却水中の重水からも生成されますが、わずかです)。
つまり、トリチウムは「臨界状態において」大量に発生する核種であるのだから、「1Fは今でも臨界状態にある」、つまり「臨界でトリチウム水が発生し、高熱により蒸発・噴出している」というのがこのデマです。
実際にはどうでしょうか。
1Fでは、1~3号機の格納容器内の気体に含まれるキセノン135の濃度を1時間おきに測定・監視しています。
キセノン135は核分裂に伴い発生する代表的な短寿命核種(半減期約9.2時間)であり、これを継続的に測定することで、「臨界になっていないこと」を監視しているのです。
また、各号機の格納容器内や原子炉圧力容器にはもとから温度計が設置されており、事故後も故障せずに稼働しているものが複数あります。
これらのデータはすべて東電HDのウェブサイトでも公開されていますが、キセノン135は東電が定めた監視基準値(1Bq/cm3)を大きく下回っています。また、格納容器内各所の温度は各号機とも20℃前後となっています。
つまり各号機とも「臨界や崩壊熱でトリチウム水蒸気が噴出している」ような状態にはありません。
かつては炉心を損傷し圧力容器の底を突き破るほどの崩壊熱を持っていた燃料デブリですが、現在、その発熱量は非常に小さくなり、炉心への冷却水の注入量も減らしているのが現状です。
現場も、夏になると建屋回りは海風の影響で高台よりも気温が低く、また建屋内に入ると外よりもむしろ涼しいのです。
デマ発信者たちのなかにはトリチウム水蒸気と関連して「1F構内で謎の光が見える」とネットでたびたび発信している人もいますが、その正体はカメラのレンズフレアや、カバーに付着した雨滴、夜間の廃棄物や重量物移動車両の回転灯、1F沖を通る船の明かりだったりと、まさに「幽霊の正体見たり枯れ尾花」そのものです。
参考リンク
プラント関連パラメータ(水位・圧力・温度など)
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/pla/index-j.html
福島第一ライブカメラ(1号機側)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index2-j.html
福島第一ライブカメラ(4号機側)
http://www.tepco.co.jp/nu/f1-np/camera/index-j.html
「1Fからのトリチウム水が原因で「謎の霧」が発生している」との嘘
1Fからトリチウム水蒸気が噴出したりはしていないことは上記で明らかですが、これに関連して「放射能を含む謎の霧が発生している」とか、「1Fの影響で福島県内で湿度が高い日が多い」「東京都心の霧もトリチウムのせい」という嘘が出回っています。
これらはトリチウムの放射能に関するデマではなく、トリチウムの質量数が通常の水素(軽水素)よりも大きいこと(約3倍「重い」こと)を利用したデマです。
軽水素の原子核は陽子1個ですが、トリチウムは陽子1個+中性子2個。陽子と中性子の質量はほぼ同じで、電子は無視できるほど軽いため、トリチウムの質量は軽水素のほぼ3倍となります。
よってトリチウム水(HTO)の質量数は20と、通常の軽水素の水(質量数18)よりも大きい値となり、融点や沸点等の物理的特性に微妙な差異が生じることになります。
「物理的特性の差によって1Fには謎の霧が発生している」というのがデマ発信者たちの主張です。
燃料デブリが安定した冷却状態にあり、建屋からは高温の水蒸気など噴出していないことは前項で延べましたが、では1Fや周辺のトリチウムの濃度はどの程度なのでしょうか?
トリチウムはBqで表記される放射能の値が大きいことが多いため、トリチウム自体の量も非常に多いように誤解されます。しかし、これを放射能濃度ではなく質量の濃度で考えると、非常に小さな値となります。
たとえば、東電では地下水バイパスやサブドレンの放出濃度運用目標を1500Bq/Lと定めていますが、これをトリチウム水(HTO)の質量濃度に換算してみると、約2.8×10のマイナス14乗、つまり百兆分の2.8というきわめて低い濃度となります。
パーセント、ppmやppbどころかpptにも至らないレベルです。
実際に海へ放出されているサブドレン水や地下水バイパスのトリチウムはこれよりも低く、現在はサブドレン/地下水ドレンで1000Bq/L以下、地下水バイパスでは100~150Bq/L程度、放出先である海水についても、1F港湾内外のトリチウムは検出限界(約2.0Bq/L)以下です。
堰内に溜まった雨水(堰内の汚染も含む)も測定後に散水されていますが、これも検出限界(約100Bq/L)以下となっています。
これらを質量の濃度に換算すると、千兆分の1~十京分の1のオーダーとなります。ここまで低濃度のトリチウム含有水が「水との物性の違いにより霧を形成する」ことなど不可能です。
そもそも、この霧は震災前から福島県浜通りや茨城県の海沿いに普通に発生してきた、ただの「海霧」です。浜通りの方々は皆さん知っていますし、1Fだけでなく2Fや広野火力、茨城の東海第二にだって発生しています。
実際に1Fで働いている方は皆さん目にしていると思いますが、私も現場で「1F構外から風に乗って霧がやってくる」場面に何回も遭遇しています。
この1Fの霧は「週刊プレイボーイ」にも「トリチウム水蒸気が原因かもしれない怪しい霧」として掲載されました。馬鹿馬鹿しいことです。
また、同誌では霧の原因として「トリチウム水蒸気」の他に、「凍土方式遮水壁の運転」をあげていました。しかし、同誌へ記事が掲載された2015年10月25日、凍土方式遮水壁はまだ運転を開始していません。冷凍機が起動されたのは翌年の2016年3月31日なのです。
つまりこれも明らかなデマです。
この様な「面白ければよい」という姿勢が福島への誤解、そして風評被害に繋がり、どれだけ福島の人々を苦しめるのか、考えて欲しいものです。
「1Fから海へは今もトリチウムが大量に流されている」との嘘
2011年の震災・原子力事故直後は大量の放射性物質が大気中や海へ放出されました。これは非常に残念なことです。
海への漏出については、事故時は海水をタービン建屋内へ導くための配管トレンチ(地下トンネル)を介して、建屋から海域へ高濃度の汚染水が放出されてしまいました。また、トレンチから流出した汚染水は海へ流出する過程で、建屋の海側の地下水も汚染してしまいました。
しかし、その後、トレンチ内の高濃度汚染水はすでに浄化・回収され、トレンチ自体も特殊なコンクリートで埋められています。
海との境界部には汚染地下水の流出をブロックするために地盤にまで達する海側遮水壁が設置され、あわせて、降雨等で水位が上昇して海へ流出することのないように、井戸から組み上げられ処理されています。
これらの対策によって、1Fから海域への汚染水流出は大幅に減少しました。
さらに、今は建屋を囲む凍土方式の陸側遮水壁と建屋周辺(サブドレン)の地下水位調整によって建屋の流入/流出の抑制が進み、また地上を除染しコンクリート等で覆う「フェーシング」によって、降雨時に地下に浸み込む水の量や、排水路を通って海に流出する放射性物質も減っています。
その結果として、前述のとおり1Fでは港湾外のみならず港湾内においても海水中のセシウムやトリチウム量が減少し、今やほとんどの測定点で検出限界以下となっているのです。
つまり、「現在、海への汚染水の流出はほぼコントロールされている」状態にあるとも言えます。
参考リンク
福島第一原子力発電所周辺の放射性物質の分析結果
http://www.tepco.co.jp/decommision/planaction/monitoring/index-j.html
汚染水対策の主な取り組み
http://www.tepco.co.jp/decommision/planaction/waterprocessing/index-j.html
「1F近傍の海ではトリチウムからの放射線で日焼けする」との嘘
さて、プレイボーイ誌では、さらに「1F沖1500mの地点で船の中にいたにも関わらず日焼けしたのはトリチウムからのβ線の影響か」と記事にしています。これはきわめて馬鹿馬鹿しい嘘ですが、残念ながらこれをそのまま受け入れている人もいるようです。
β線はγ線とは違って弱く、何mも飛ぶことはあり得ません。透過力も弱く、船のなかに、あるいはもし外に出ていたとしても、β線で被曝するようなことはありえません。
本当に1F沖でβ線で日焼けするのであれば、1Fの作業員は皆真っ黒に日焼けしているはずですが、もちろんそんなことはありません。私自身、漏洩汚染水をチリトリで回収したり、β線900mSv/hの汚染水の上を歩いたりしていますが、日焼けなんてしていません。
そもそもからして、1F港湾の直ぐ外ですでに検出限界(約2.0Bq/L)以下になっているトリチウムが、1Fから1500mも離れた場所で身体に影響を与えるような濃度になるはずもありません。
1960年代は冷戦時の大気圏内核実験の影響で日本にも一時トリチウムが100Bq/Lを超える雨が降っていました。じつに1F港湾外の50倍の濃度ですが、当時の人たちは雨が降るたびに日焼けしたのでしょうか?
そんなわけありませんね。
漁師さんや船釣りを楽しむ方々には常識と思いますが、海上は日光の海面での反射(照り返し)により、陸上にいるよりも紫外線が強く日焼けしやすい環境です。
短時間であっても外に出ていれば日焼けはします。彼らを案内した漁船の乗員は、そんなことも教えてくれなかったのでしょうか。
以上、トリチウムに関する4件のデマについて、現場の視点も加えて書かせていただきました。
デマを書く方、広める方は面白がってやっているのかも知れませんが、それは復興の邪魔をする行為であるという自覚を持って頂きたいと思います。
また、怪しい情報を目にした場合には、鵜呑みにせずに原子力規制委員会や東京電力HDのウェブサイトで調べてみることをお勧めします。
あさくら(https://twitter.com/arthurclaris)
エネルギー・原子力関連企業に就職後、数箇所の原子力発電所において、主に運転中の機器故障対応や定期検査における原子炉周り設備の保全・改造工事を担当。
品質保証や危機管理の業務を経て、震災時は福井県の原子力発電所に勤務。震災後は1F事故の水平展開工事等の対応を行っていたが、その後1Fに移り、現在は汚染水に関わる業務に携わる。